いま注目の「知られざるワイン産地」
稲垣敬子氏 ヴィノテーク編集長 |
高岡信明 ワインコンプレックス代表 |
高岡今回は、ワインと食とSakeの情報誌『ヴィノテーク』の稲垣敬子編集長においでいただきました。よろしくお願いいたします。
稲垣よろしくお願いします。
高岡『ヴィノテーク』は、1980年4月号の創刊。以来、37年にわたって、ワインと日本酒と食の情報を発信し続けておられます。創立者は有坂芙美子さんですが、2003年からは、世界最高ソムリエの田崎真也氏が(株)ヴィノテークの代表取締役をつとめておられることでも知られています。
稲垣『ヴィノテーク』とは、Vino( ワイン)th?que(箱・戸棚)―つまり「ワインがぎっしりと詰まった箱」という意味。そういう思いを込めて、創刊されたワイン専門誌です。現在では、ワインを中心に、日本酒、そしてワインや日本酒にまつわる食全般の情報発信に取り組んでいます。
高岡80年代からずっとワインの情報発信を続けていらっしゃるという実績は、本当に素晴らしい。日本のワイン専門誌の草分けといってよいでしょう。
稲垣ありがとうございます。
高岡今回、お招きしたのは、ジャーナリスティックなお立場で、世界中のあらゆるワイン産地に精通しておられる稲垣編集長に、これからスポットが当たりそうな産地を伺いたいと思いまして。そして、インポーターの方が、日本でワインを扱ううえで、そうした産地の魅力をどのように伝えていったら効果的か、というヒントがお伺いできたらな、と。
稲垣分かりました。
高岡ワインとひと口にいっても、好まれるスタイルというか、トレンドは、ずいぶん変化してきていますよね。
稲垣ワインのスタイルも、時代によってさまざまに変化しています。90年代から2000年代はじめにかけては、大きくて、リッチで、樽の香りの効いたワインに注目が集まりました。
高岡そうでしたね。果実味があって、パワフルで、樽のニュアンスも濃厚なタイプ。品種でいうと、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネなどの国際品種ですね。
稲垣やがて、エレガントさがもてはやされるようになり、現在ではニューワールドにおいても、抑制的でエレガントなワインが主流になってきています。ビッグでリッチなワインを評価し、世界におけるワイン造り、消費者の嗜好にも多大な影響を与えたロバート・パーカーが2016年に第一線から引退したことも、そのひとつの要因になったといえるでしょう。
高岡造りが変化する最大の要因は、食のトレンドの変化でしょうか?
稲垣食の影響は大きいでしょうね。現在、食のトレンドは、世界的に「素材感を活かしたライトなスタイル」にシフトしています。ワインも当然、そうした変化に連動しているといってよいのではないでしょうか。
高岡「リッチでふくよかなワイン」の代名詞であったオーストラリアやカリフォルニアのワインも、現在ではエレガントなスタイルが多くなってきていますね。
稲垣いま、注目されているワインに共通するワードに「クール・クライメット」があります。
高岡ああ、よく耳にしますね。
稲垣オーストラリアやカリフォルニアは、豊富な日照によって果実味の高いリッチなワインを生み出していました。先ほど高岡さんのおっしゃった食のトレンドの変化、そして消費者の嗜好の変化、また、年々上昇する気温をはじめとする気候の変化に対応するために、造り手はワインにバランスのとれた味わいとエレガントなスタイルを求め、より冷涼なテロワールを探すようになっていると思います。標高の高い場所、例えばオーストラリアならヴィクトリアのアッパー・ヤラだったり、寒流の流れる海に近い場所、例えばチリならレイダ、カリフォルニアならフォートロス・シーヴューなどは、最近話題のクール・クライメットの産地として挙げられます。
高岡現地取材はどのくらいの頻度で行かれていますか?
稲垣最低、月に一度は編集部の誰かが、どこかのワイン産地に取材に行っている、という状況です。単純計算すると年間12回ということですね。
高岡10年で120カ所以上の産地を取材していることになりますね。
稲垣1980年以来の『ヴィノテーク』のバックナンバーを見かえしてみると、初期に情報発信していたのは、フランス、ドイツ、日本、そしてイタリアが中心でした。
高岡もうすでに、日本ワインを?
稲垣「日本のワイン造りを応援したい」というのが、創刊以来の基本姿勢なのです。
高岡それも、とても早いですよね。時代を先取りしている。
稲垣81年にはすでにアルゼンチン、スイス、南アフリカなどが出てきます。
高岡もう、アルゼンチンや南アフリカが!
稲垣82年には、シェリーの紹介でスペイン、それにオーストリア。83年にはハンガリー、84年にはユーゴスラビア、85年にはエスニック料理とのマリアージュの特集で、イスラエルや中国……。
高岡どれも、僕たちが認識しているより早い段階で紹介されている印象がありますね。エスニック料理とワインという取り合わせも、実際に普及しはじめたのは最近のような気がします。
稲垣90年代に入ると、チリをはじめ、中にはブラジルの話題もあり、南アメリカの産地の紹介が徐々に増えていきます。92年には最近あらためて注目を浴びているギリシャを紹介しています。
高岡なるほど。その間、ずっと基軸はフランスワインですか?
稲垣そうですね。日本市場は長らくフランスを重視する傾向が強かったので、読者のニーズに対応するためにもフランスが中心でした。
高岡その後は?
稲垣1997年1月号で、ワインジャーナリストや醸造家など、世界的に著名なワイン関係者に、21世紀のワイン業界の展望を聞く特集を組んでいるのですが……。
高岡面白いですね!
稲垣「旧東ヨーロッパの国々で、今後ワイン産地として期待できる国名、産地名を挙げてください」という質問をしていて、当時、ジャンシス・ロビンソン女史は、モルドヴァをあげています。
高岡早い!
稲垣イタリアのトスカーナを代表する生産者であるピエロ・アンティノリ氏は、ハンガリーの白ワインやトカイ、ブルガリアの競争力ある赤ワイン、チェコ、ジョージア。マイケル・ブロードベント氏はハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、モルドヴァなどでは1980年代から生産量が伸びたので、量より質的向上のみに期待したいと答えていました。
高岡その後の流れと重ね合わせると、ちょっと予言的な示唆ですね。
稲垣例えばブルガリアを例に見てみると、集約農業的なワイン生産が始まったのが1950年代です。ソ連に輸出するため、広大な平野部にカベルネ・ソーヴィニヨンやメルローを植えました。1970年代末ごろにはブルガリアの赤ワインは手ごろで高品質とイギリスでも人気を博し、1980年代に入ると、カリフォルニア大学デイヴィス校からの栽培醸造技術支援も受け、品質が向上しました。
高岡その後は?
稲垣東欧のワインは、緩やかに進化しつつも、決定的だったのは1991年のソ連崩壊後に民主化が進んだことでしょう。引き続きブルガリアを例にとれば、国有化されたブドウ畑が元の持ち主に戻されたあと、その持ち主がブドウ栽培の経験と知識に欠け、かえって収穫の質・量が悪化したということもありました。ただ、2000年代に入り、フランスやイタリアなど国外からの投資により、名声を再び取り戻しつつある状況です。
高岡なるほど。では、最近ではどんな傾向が?
稲垣ボルドーのシャトー・カノン・ラ・ガフリエール率いるステファン・フォン・ナイペルグ伯爵や、著名コンサルタントのミシェル・ロラン氏などがボルドー系品種でブルガリアのテロワールの表現を実践し、国際的にも知られるようになりました。ただ、カベルネ・ソーヴィニヨンは、品種の個性をある意味どこでも表現できる強みがあるから世界中に植えられています。東欧もしかりです。ところが最近では、ブルガリアをはじめ、クロアチアやセルビア、スロヴェニアでも固有品種に向かう傾向があると聞きます。ヴィノテークは今年の4月号でブドウの品種のトレンドを特集しましたが、その中で田崎はトラキア地方のマヴルッド(Mavrud)は品質もあり個性が明快で面白いという話をしていました。ただ、それがトレンドになるかというとブルガリアワインがどこで飲まれるのか、という問題もありますが。
高岡固有品種に注視する傾向は、今のトレンドのひとつと言えそうですね。
高岡いろいろお話をうかがってきましたが、ワインを知るということは、歴史や地理を知ることでもありますね。
稲垣これは、「ワインに興味がある」ということを前提としたうえでの日本の消費者の特徴ですが……。
高岡はい。
稲垣未知のワインへの欲求が、とても高いように思います。
高岡飲んだことのないワインを飲んでみたい、という?
稲垣知らない産地、知らない品種を体験してみたい、ということですね。そもそも日本には、いろいろな国の、さまざまなワインが入ってきています。未知のワインを体験するには、良い条件が整っている国なのです。
高岡その反面、「ワインにあまり興味がない人は、知らないワインを飲みたがらない」という傾向もあるので、インポーターさんはとても苦労しているんですよ。
稲垣そうなんですね。
高岡スーパーの棚に、カベルネ・ソーヴィニヨンから造ったワインと、聞いたことのない品種から造ったワインが、同じ値段で並んでいると、どうしてもカベルネ・ソーヴィニヨンが売れてしまう……。ですが、実際に、「知らない産地の、知らない品種から造ったワインを飲んでみたい」と欲している消費者はいるわけですからね。
稲垣日本人はそもそも、探究心や好奇心が強いのではないでしょうか?だから、ワインのことをちょっと知ると、ますます知りたくなってくる。その背景も含めてね。
高岡なるほど、そういう気質はたしかにあるかもしれませんね。
稲垣ワインの世界で使われる「テロワール」という言葉は、産地の気候や地形、土壌のみならず、歴史、文化、住民の気質や、その土地の伝統料理など、ワインを生み出すすべての要素を包括しています。日本のワインファンには、ただワインを飲むだけでなく、そういったワインを取り巻くあらゆることに興味をもつインテリジェンスある人が多いように思います。
高岡現在注目される、未知の産地というと、黒海沿岸地域でしょうか?
稲垣最近では特にジョージアは話題になっていますね。
高岡そうした国のワインを飲むと、品質が高くてびっくりすることがありますね。そのうえ、歴史や文化も奥深い。
稲垣南コーカサスもしくは東欧に分類されることもあるアルメニアのワインもユニークですよ。アルベルト・アントニーニ氏やポール・ホブス氏などもコンサルタントとして活躍しています。
高岡それはまさに「注目の産地」だ。
稲垣アルメニアは、国土の約90%が標高1000〜3000メートルという土地柄。内陸で乾燥していて、寒暖差が激しく、ワイン用ブドウの適地といわれています。この地で育まれるアレーニ・ノワールという品種から造られた赤ワインは、ピノ・ノワールをさらに凝縮させたような……。
高岡そう、品格。ジョージアやブルガリアなどにも、「おやっ」と感じる品格あるワインがありますね。
稲垣ジョージアといえば、クヴェヴリと呼ばれる素焼きの甕での仕込みで知られていますよね。最古のものは紀元前6000年ごろにつくられたといいます。ちなみにトルコのカッパドキアにも、キュプと呼ばれる甕で仕込む伝統があります。スロヴェニアに国境を接するイタリア北東部を中心にこの甕、つまりアンフォラによる醸造に取り組む生産者が増えつつあります。スペインでも昔は同じくアンフォラでワインが造られていましたが、それを復活させる動きが見られます。さらにこの仕込み方は、南アフリカやチリにも広がっている。今、注目の「新しい動き」です。
高岡お話をうかがっていると、「いま、注目されるワイン」には「回帰」ということが共通していますね。原点とか、土地とか、歴史などへの「回帰」。
稲垣これは、フィリップ・パカレ氏からうかがって、「面白いなあ」と思った話なのですが……。
高岡すごく興味あります!
稲垣「この20年間でだんだんとブドウの木が退化していることを感じている」とおっしゃっていました。より品質の高い果実を求めてクローン選抜を繰り返した結果、病気に対する耐性が低くなってきているというのです。
高岡品質を追求するあまりの弊害ですね。
稲垣そこで、昔からおこなわれてきたように、実(種)から育てれば昔のような耐性を取り戻せるのではないかと。ただこれは一生産者ではなく、国の研究機関が取り上げるべき問題だと力説していました。
高岡本来のブドウ栽培に回帰しよう、ということですね。
稲垣こういう潮流は、「忘れられていた品種の復活」「昔ながらの仕込みに戻る」などという流れと同じ、原点回帰の考え方なのかもしれません。栽培・醸造技術が発展し、マーケットニーズに対応すべく、国際的な画一化が進んだことに対する揺り戻しが全世界的に起こり、結果、オリジナリティを求める動きへとつながっているのではないかと。ワイン発祥の地への注目、個々の産地の歴史の見直しも含め、本来のブドウ作り、ワイン造りとは何かを問う時代がきていると感じています。
高岡そうしたワインは、「マーケットニーズを研究して、みんなが知っている国際品種を用いて、需要の多いタイプのワインを造る」というやり方とは真逆ですね。
稲垣「マーケットニーズを研究して、みんなが知っている国際品種を用いて、需要のあるワイン造りをする」ことが悪いわけではないのですよ。そうしたワインの需要は常に高く、こういうタイプのワイン造りは研究され続け、磨き続けられています。
高岡たしかに。美味しくて、コストパフォーマンスに優れたシャルドネやカベルネ・ソーヴィニヨンはたくさんあり、そして売れていますよね。
稲垣その一方で、消費者のニーズも多様化しているわけですから、小さな造り手や、そういうワインを扱うインポーターさんは、そうしたワインのニーズを開拓していけばよいと思います。
高岡まさにワインコンプレックスの試飲会には、そういう造り手のワインが、たくさん集まっています(笑)
稲垣ワインコンプレックスの試飲会は、ニッチなワインに出会いやすい場ですよね。それは、インポーターさんにも、飲食店さんにとっても大きなチャンスだと思います。
高岡そうですね。参加される方が、ターゲットを絞って照準を合わせると、ものすごく有効になるのではないか??と思っています。自分のお店はどういうお店なのか? どういうお客さんがいらっしゃるのか? お客様はどういうワインを求めているのか? と、照準を合わせておくと、欲しているワインとアクセスしやすくなりますね。
高岡小さなインポーターさんの慢性的な問題として、人手不足ということがありまして、自分たちのワインについてなかなかこと細かに広報活動ができない。また、予算のこともありますから、大きな広告も打ちづらい。そんなインポーターさんへ向けて、メディアを扱う稲垣さんの立場から何かアドバイスはありませんか?
稲垣いきなり大きなことに取り組むよりも、まずは地道な情報発信を続けていくことが大切かと思います。知られざる産地の、例えばアゼルバイジャンのワインの取り扱いを始めました、というお知らせを受ければ、こちらも記憶にとどめておこうと思いますしね。
高岡そうですか。
稲垣何か企画を立てる際に、コンタクトをすることがあるかもしれないので。
高岡なるほど。ただ、何かを案内した側としては、すぐメディアの反応を期待してしまいがちですが。
稲垣案内をいただいて、すぐにどうこうということはむしろ稀だと思います。しかし、そのリリースの記憶は、折にふれて想起され、いつか、どこかで活きる……。かもしれない(笑)
高岡なるほど。そのためには、人に記憶してもらえるリリースを作り続けることが肝要ですね。
稲垣そのためには、まずインポーターさんは取り扱っているワイナリーはもちろんのこと、その産地のスペシャリストになっていただくことが早道だと思います。
高岡スペシャリストというと?
稲垣そのワイナリー、その生産地の魅力を、それを知らない人に伝えるプロフェッショナルです。
高岡なるほど。たしかに、そのワインを輸入しているわけですから、情熱はものすごくあるけれど、伝え方がいまひとつ、という残念なことがありますね。もっと、伝えたいことを、分かりやすく、順序だてて……。
稲垣特にニッチな産地であるほど情報が少ないので、ワイン、そしてそのワインが育つ産地の情報をきちんと正しく把握したうえで魅力を分かりやすく丁寧に伝えていくことで、着実にそのワインのファンが増えていくと思います。
高岡ただ「良い!」というだけでなく、なぜ良いのかを、相手の理解に合わせて、分かりやすく整理するスキルが大切なのですね。
稲垣ワインの魅力は、1本1本にストーリーがあることだと私は思います。これだけ種類の多いお酒で、そのすべてに物語がある飲み物というのは、あまり存在しないのではないでしょうか。もちろん、ブランデーやウィスキーにもストーリーはありますが、ワインは、同じワイナリーのアイテムでも、畑、品種、造り、ブドウの摘み方や絞り方などなど、ひとつの要素が、いえ、ちょっとしたアプローチがひとつ違うだけで、まったく違うお酒になりますでしょう? ワインコンプレックスのような試飲会は、まさにそうしたワインのストーリーを伝えることのできる現場だと思います。
高岡これからも、そういう「場」を提供できれば、と思っています。ありがとうございました。